Abstract Game


 直訳すると「抽象的なゲーム」とでも言うのでしょうか。極力、ゲームに使う駒(トークン)を単純化・抽象化して、ゲームのリプレイアビリティを高めたものである。私はそう考えております。日本だと、将棋、囲碁、連珠みたいなもんでしょうか。先の例以外にもチェス、チェッカー、バックギャモンなど、ボードゲームに分類されるものや、トランプ、ウノ、ククなどカードを使うものも私はこの範疇に含めたいと思っています。

あくまで私は、ゲームの中でその駒に対する感情移入の質と量によって分類しています。したがって、アブストラクトゲーム(AG)はロールプレイングゲーム(RPG)とはまったく対照的です。

例えば、将棋。これをご存知の方はすぐ分かると思いますが、ゲームの目的は相手の王様を捕らえることです。一番強い攻撃駒が、飛車。でも、いくら強いといっても相手の王様が取れるときや、自分の王様が取られそうなときには捨てます。一番弱い駒の歩兵などは1ゲームの間に何回も「捨てられる」ことが常態となります。この捨てるという行為に対して、プレイヤーは捨てられる駒に感情的な投射はしないでしょう。飛車を捨てることに心が痛む人、ゲームに負けてもよいから飛車を捨てない人はいませんよね。心が痛まないように抽象化されているともいえるでしょう。

これらのゲームの場合状況を常に把握し、少なくとも場の状態と自分の手の内は完全に掌握でき、自分の駒(トークン)は、自分の意志には逆らいません。飛車に「死んでこい」と送り出すと死んでくれます。プレイヤーに明確な勝利条件があります。ルールも厳正です。手番のときの考慮時間制限があるものもあります。定跡というかつての先達者たちの遺産が重んじられます。

私、これらのAGのプレイが好きです。運の要素があるものないものなど、ゲーム個々には異なったように見えますが、個々の駒のことはかまわず(私の心を傷めることなく)与えられた勝利条件に向かって只管プレイできるからです。

最近、これらについて、少し心配なことがありました。ロジステロ(コンピュータ)が世界チャンピオン(オセロ)に勝ってしまったのです。まあ、チェッカーなども定跡が研究され尽くしているといえばいえますが、抽象化が進んだゆえに、数学的な最適解が次々コンピュータによって計算され尽くして、ゲームとして成り立たなくなってしまうのでは、と危惧しています。


囲碁 これ以上どうしようもないくらいのアブストラクトゲーム

将棋 一般の本将棋ではありません ゲームです

オセロ 自己再燃焼が最も容易とも思われる奥の深いゲーム

クク イタリアなど欧州各地にある伝統カードゲーム

6ニムト 考えなくても悩める名ゲーム

Take it Easy ルール簡単、多人数可能の勘と度胸のパズルゲーム

 


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